自然と私
私は竹林がすぐ裏にある家に生まれた。
川もすぐ傍に流れていて始終、川の音が聞こえていた。
実家は少なくとも5代は続く農家で、家には畑があり畑のすぐ隣が竹林で、竹林はそのまま山に繋がっていた。
浦庭が山で、山といえば寝ても覚めても、すぐ近くにある物で、山からは狸、ウサギ、キジ、イタチなどの野生動物が畑の作物や、池の鯉を取りに出てくるのは普通のことで、「人間だけがこの世に生きているのではない」」ということは、物心つく前から感覚的に持っていた常識だった。
豪雪地帯でもあったため、自然がくれる暖かさ寛大さも知っていたけれど、気を抜けば命を奪われたり、人間が「もう限界ですから雪を降らせないで下さい」と渾身の願いをかけても、命が奪われようとも、意思を変更しない厳しさや激しさを持っていることも感覚として知っていた。その感覚を『畏敬の念』と呼ぶのだと知ったのは大分後になってからだった。
物心つく前から、自然と共に生きていたので、米や肉を工場で作っていると信じている子供がいると知ったときは、驚きを通り越して、恐怖のような感情がわき出てきた。